インテリマッチョへの道~知識アウトプットブログ~

筋トレが大好きな新卒サラリーマン。知的で色気のある生き生きとした大人になるべく、読んだ本や学んだことをアウトプットしていきます。

自由という虚構【ホモ・デウス(下)】

 

 

おはようございます!

インテリとゴリマッチョの二刀流を目指すサラリーマン、むっちょです。

 

 

今回は

ホモ・デウス 下(ユヴァル・ノア・ハラリ)

を解説していきたいと思います。

 

 

 

 

本書の紹介

 事前紹介したホモ・デウス(上)の続きです。

yyy0101.hatenadiary.jp

 生物はただのアルゴリズムなのか、そしてコンピューターが自身より自分のことについて詳しくなったとき、人類はどのようになるのか。人類が神の座を下ろされるであろう、これからについて書かれています。

 

私が本書を手に取った理由

・私たちのこれからについて学びたかったから。

 

本書の感想や得た学び

人間至上主義の誕生、そして神からの解放

 中世までは「知識=聖書×論理」だと考えられていました。分からないことがあれば、聖書を読み、すべては神次第であるという考え方です。その後科学革命により「知識=データ×数字」という考え方に変化しました。疫病や飢饉などの問題は、対策可能な課題であり、神に永遠と祈るものではなくなりました。まさに人類が神と並んだ習慣といえるでしょう。しかし科学だけでは価値や意味に関する疑問(なぜ人を殺してはいけないのか、など)を対処することができない、という問題点がありました。そのため倫理や価値観に関する問題は神が対処し、科学に関する問題点は人間が対処する、といったように神と人類の分業体制をとっていました

 しかし人類は「人間至上主義」という考えで、ついに神を超え、宇宙の頂点へと立ちました。「人間至上主義」とはその名の通り、人間そのものに価値を置く考え方であり、「知識=経験×感性」であるとしました。「なぜ人を殺してはいけないのか」という疑問に対して、今までは「そんなの神様が許さないからだ!」と答えていたのが、人間至上主義では「内なる自分にきいてみればわかるでしょ?あなただって大切な人が誰かに殺されたら嫌じゃない?」という考え方へと変わりました。ついに人間は神の権威を失楽させ、その束縛から解放されたのです

 人間至上主義には「自由主義的な人間至上主義」「社会主義的な人間至上主義」「進化論的な人間至上主義」の3つの流派があります。自由主義的な人間至上主義は「一人一人考え方は人それぞれで、みんなの意見を尊重しようよ」という考え方です。それに対して社会主義的な人間至上主義は「いやいやそんな一人一人にかまってられないよ。もっと社会全体の影響を重視しようぜという考え方です。進化論的な人間至上主義は「あらゆる人間に価値がある?笑わせるなよ、強いやつが最強だぜ!」という考え方です。紆余教説、いろいろなことがありましたが今では自由主義的な人間至上主義の考え方が広まっています。

 

アルゴリズムが人類を越え、神となるとき

 人間至上主義の考え方のもと、人類は様々な場面において自由に選択ができるようになってきました。何が食べたいかは他人に聞くのではなく、自分の内なる声が知っている、誰が好きなのかも、何をしたいかも自分自身が知っていて、自分以外は知らないのです。しかしその内なる声というものは本当に自分の意志なのか、ただデータに基づいてアルゴリズムとして選択しているのではないか、私たちは自由な選択をしているように見えて、ただのアルゴリズムなのではないか、そういった考えが広がっていきます。そして自由主義的な人間至上主義を継ぐ、2つの宗派が誕生しました。

 その1つ目は「テクノ人間主義」という宗派です。これは人間の選択はアルゴリズムに則っていることは認めながらも、そのアルゴリズムを用いて人間をアップグレートしていこうとする考え方です。テクノ人間主義の考え方では、あくまでも人間が神の座に就いています。テクノ人間主義では人間の意志がこの世界で最も重要なものだと考えているため、その意志を制御したり、治したりできるテクノロジーを開発しようとします。この世で最も重要な人間の意志を思いのままにできるという事は、魅力的なことで話です。しかし制御できるようになったとしても、人間はそれをどうすることもできないでしょう。なぜなら人間の意志を制御できるようになれば、神聖な人間もデザイナー商品に成り下がってしまうからです。

 このテクノ人間主義の矛盾をもろともしないのが2つ目の宗派「データ至上主義」という考え方です。データ至上主義はテクノ人間主義とは違い、人類が神の座から降りることになります。そしてアルゴリズムを分析するデータが神の座へ就くのです。このデータからなるアルゴリズムは人間のように間違った選択をしません。今食べるべき食べ物も、付き合うべき相手も内なる自分より正確に伝えます。つまり自分よりも自分のことを知っている存在になるのです。このようなデータ至上主義の考えのもと人間がアルゴリズムに神を譲った世界はどうなるのでしょうか。アルゴリズムが持つどちら知能と私たちが持つ意識のどちらのほうが価値があるのか。そもそも生き物はアルゴリズムに過ぎないのか。私たちはまだまだ多くのことを考え、明らかにしていかなければならないのでしょう。

 

今後の行動

・人類の「今」に焦点があてられた「21 Lessons」を読む。

メモ

2014年夏に西アフリカでエボラ出血熱が拡がったとき、この病気の薬やワクチンをせっせと開発していた製薬会社の株式に何が起こったと思うだろうか?テクミラ社の株価は5割、バイオクリスト社の株価は9割値上がりした。中世に疫病が発生したときに上を向くのは人々の顔で、それは彼らが天を仰いで神に自らの許しを求めて祈ったからだ。 

 

 もしマルクスが今日生き返ったら、かろうじて残っている信奉者たちに、「資本論」を読む暇があったらインターネットとヒトゲノムを勉強するように命じることだろう。